Tさんに案内されて、灼熱の太陽雨に熱く焼けた、石畳の広い通路を歩き始めま
した。
やっぱり熱い。なめてたらあかんなあ。沖縄の太陽。けど、歩くっちゅうた手前、
我慢して歩きました。
300メートルぐらい歩いたかいな。広い広い通路から、松林の中に細い道が続
いとります。慰霊塔が林立するところへ足を踏み入れたんでした。
T 「ここが、全国から沖縄戦に参加して戦死した人たちをまつってあるところです。
全国47都道府県の慰霊塔があります。」
わい「徳島もありますね。」
T 「はい、ありますよ。意識してみたわけではないけれどね。この先には黎明の塔が
あります。」
T 「ところで、みなさんの家族とかで、戦争で、沖縄でなくなった方っていますか。」
わい「・・・・。はい、いますよ。といっても、沖縄ではなくて、満州ですけど。軍人
でもなくて、確か、郵政関係の仕事をしていたんですが。ドンパチの中で死んだん
ではなくて、結核にかかった訳なんですけどね。
まあ、私から見れば叔父にあたります。いまは治る病気なんだけどね、あの当時
は不治の病だった。
もともと体が弱い上に、慣れない外地へ行ってたわけだから。
内地での健康診断では、この状態で出向すれば、命の保証はない、といわれてい
たんだけどね。私が母から聞かされた話では、体は弱かったけれど、とても優秀だ
ったようで、本人が行くと言って聞かないから、本人の意思を尊重したわけだけれ
ど、それが仇になった。
私の母は、いわゆる戦中派でしてね、今も健在で、うるさい母親ですけどね。
最近はあまりしなくなったけど、私が小さい頃、小学生の頃かな、徳島大空襲で、
焼夷弾や1トン爆弾が雨のように降ってくる中、母親、つまり私から見ると祖母で
すね、・・・母親に連れられて、地面に穴を掘って、上にふたをしただけの防空壕
に隠れていたんだけれど、爆弾の落ちる音がだんだん大きくなって・・・、そのう
ち、このままここにいたんでは、いつか爆弾が命中して皆死んでしまう。外へ出て
山(眉山)へ逃げようってね。で、防空壕の中で意見が分かれて、私の母は、外へ
出て山へ逃げるグループに入った。当時小学生の低学年だった母が、祖母に手を引
かれて、爆弾が雨のように降ってくる中、数百メートルも続く火の海の中を走り抜
けたことがあるって聞かされましたよ。
天神さん、っていう神社があるんだけど、その付近の山へ逃げ込んで夜を明かし
た。
そして、夜が明けて、自分らがいた防空壕に戻ってみると、防空壕の場所がよく
わからない。ひときわ大きい、爆弾が落ちた後があるのでそこをよく見ると、おび
ただしい死体の数。当時防空壕で一緒にいた人たちは、それが誰なのかもわからな
いぐらいに変わり果てた姿になっていた。そこが防空壕のあった場所だったんです
よ。
もし私の母がそこに残っていたら、私はここでこういう話をしていないわけで・
・・・。
そして、もう一人の叔父ですが、私の母の上の兄になりますけど、当時海軍で少
年兵として従軍していましてね、駆逐艦か何かに搭乗していたようです。
もっとも、航海中に、敵機・・、アメリカ軍の空爆を受けて、ドンパチの経験が
あるということなんですが、初陣は、もう怖くて怖くて、自動小銃の台座にしがみ
ついていたらしいです。まあ、2回目の交戦は、そんなこともなかったようだった
そうですが。
ただ、ある日、瀬戸内海を航行中、昭和20年の8月6日ですよ、朝の8時頃で
すか、B29が飛んできて、いつもなら交戦になるところを、そのまま南から北の
方へ飛んでいって、しばらくすると、かなり大きな爆弾が広島の方に落ちて、でっ
かいキノコ雲がもくもくと上がっていったらしいです。そのときは、新型の爆弾が
投下されたな、等と、当時一緒に船に乗っていた者同士で話をしていたらしいです
が、まあ、新型には違いないんだけど、それが原子爆弾だったんですよ。もっとも、
叔父があの悪名高き原爆と知ったのは、戦後しばらくしてからですが。
呉にも軍港があって、下手をすれば被爆していたかもしれないわけで、まあ、聞
いた話とはいえ、あまり人ごとでもないんですよね。」
T 「しんちゃんさんは、貴重な話を聞いたんですね。いま、そういう話ができる人っ
て、ホント少なくなりしたからね。」
わい「ああ、すみません。ホントは楽しい話がしたいんだけれど、ちょっと思い出した
もので。
母は言ってましたよ。今は平和だって。この平和に感謝しないといけない。日本
は負けて良かったんだと・・・。平和ぼけしている感もあるんだけどね、今は。
でも、こういう話を表立ってしていると、あいつは、怪しい思想に毒されている
だの言われるんだよね、おかしい話だけど。
有史以来、人は戦争に反対してきているのにね。そのことを口にすると異端児扱
いですよ。
結局、権力を握った人間は欲望に勝てないんだよな・・・。
ああ、失礼しました。こんな話、人にするものじゃないね。」
T 「いやいや、大事なことだと思いますよ。・・・さて、熱くないですか。私は、帽
子つけてるから大丈夫だけど・・。あ、かぶってるから(^^; あはは、使い慣れた
言葉だからすぐ出ちゃうんだよね。」
わい「ああ、気にしないでくださいよ。いつも通りでお願いします。言葉なんて、通じ
ればそれでいいんだから。」
やっぱし場所が場所なもんで、やはり、会話は太平洋戦争のことになってまいまし
た。でも、わいは戦後生まれで、結局聞いた話でしかない。いつぞは風化してまうん
は世の必然だろかいな。
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