旅のお話その16





    休憩時間・・・・。

    考えることは、沖縄のことばっかり。
       ところ違うたら文化も変わるんですわ。ほんな根本的なことが理解で
   きとりまへんでした。

    意志の疎通を図るんには、どないしても言葉のやりとりが必要なんです。
        ほの言葉に大きな障壁があったんでした。
    出張に持ってったパソコンと携帯電話、PHS。もともと家族と連絡
   用にと持ってった物が、よもや旅先での文化の探求に使おやてだれが考
   えたやろか。

    仕事終わって宿舎に戻って、インターネットで検索したら、でるわで
   るわ。ありとあらゆる情報がようけ。ことばはもちろん、有史以降の歴
   史等々・・・。

    統制され、可も不可もない物を与え続けらえてきたわいにとったら、
   歯に衣着せん真実を目にすることは、驚愕と、いわれもせん恐怖の連続
   やった。
    
    なんて自分は無知だったんか。10年前、社会人気取りで世の中すべ
   てを見切ったやていきがいよったあの頃。
    インターネットを始めて、自分の無知ぶりを認めざるを得んかった、
   自分の世界がいかに狭いところであるかを認めざるを得なかったあの頃。
    あのときの焦燥感を再び味わうとは思ってもみませんでした。  

    なにかしら、刺すような空気を感じたのです。ないちゃーに対する圧
   力にも似たものを・・・。その一方、すべてを受け入れようとするうる
   まぁんちゅの寛容さも感じていました。

    薩摩侵攻、琉球処分、方言札、沖縄戦、米国統治、そして本土復帰・・・。

    過去の出来事をひもとけば、おまえらは敵だといわれてもおかしくな
   いのです。しかし、あの寛容さはうるまぁがもつ文化そのもの。うるま
   あんちゅは、ひょっとして、ものすごい心の葛藤のなかで生きているの
   かも・・・。
   
    うるまぁんちゅや、なにゆえ寛容んかいなとーいびんがやぁ。
    わんや、理解しゆぶさんや。

    なんぼ考えても、答えは出ませんでした。

    ただ、ひとつだけ答えを見いだす方法はあります。
    それは、過去にあった真実を素直に受け入れること。
    今を生きている私にとって、過ぎ去ったことをとやかく言いませんし、
   また、済んでしまったことをあれこれ言ったところで元に戻ることはな
   く、逆に、いたずらに当事者の神経を逆なですることになるだけでしょ
   うが、しかしながら、史実を理解することはできるでしょう。そして、
   もう一度街へ行き、その空気を呼吸し、人々と言葉を交わし、意志の疎
   通を図ること。
    けど、休みなんてあるのか。そっちのほうが問題かもしれません。

  

(続く)



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最終更新日 2001.1.7