「ほう、こんなものがあるのか。狛犬の下に”国際通り”と刻んである。ま
あとりあえず写真でも撮っておこうか。」
その狛犬、うちなーんちゅにすればごく自然な生活の風景でしょうが、本土
から来た私にすれば、神社でしか見られない代物です。
(後にこれが「シーサー」という名で、守り神であることを知るわけですが)
周りからみれば、私は完全な観光客だろうなあ、と思いつつ、狛犬の横を歩
きながら、先ほどのそば屋での会話を思い出していました。
すでに疑問点はいくつか生じていました。
本土で言う「すみません」とか「ごめんください」は通じないのか、それ
ともイントネーションが違うのか。はたまた本当は方言でしゃべっているか
ら標準的な言葉は理解しがたいのか。
いや、そんなはずがない。普通に受け答えしていたぞ。私がぺらぺらと標
準語で「お勘定・・・」といったとき、なぜあのおばさんは眉間にしわを寄
せ、私の顔をじっと見つめたのか。観光客がご当地の言葉でしゃべるのはし
かたがないこととして、こっちはあえて万国共通の標準語をしゃべっている
のに・・・。
なんだか様子が変だ。まるで何かを隠しているみたいだ・・・。
沖縄の人はいったい何を気にしているんだ?
でも、確かにおばさんとねーねーは、臆することなく我々の前で、沖縄の
方言で話していたぞ。
しかしかなり標準語に近かった。そんなもんじゃないだろう?
「来た。来たの?」・・・。なんでしつこく聞くんだ? 来たに決まってい
るじゃないか。そのときねーねーはおばさんに、本土は行くと来るが逆と言
っていた。
するととたんにおばさんは納得していた。でもそのあと「首里に来るなら
・・・」。これはいったいどういうことだ。言葉の使い方が違うのか? ま
さかそんな・・・。同じ日本だぞ。
あのタクシーの運転手の言い回しといい、絶対何か変だ。これは気をつけ
ないと、地元の人とうまくコミュニケーションがとれないかもしれない・・・。
くそ〜。考えれば考えるほど頭の中はトロイの迷宮みたいになってくる。
でも悲しいかな。絶対的な情報量が少ないから答の出しようがないよ。
ようし、とりあえず地元民同士の会話を聞こう。こんな表通りでは無理だ。
裏通りへ入ろう。
そう思った瞬間、私の足は、自然と裏通りの方へ向いていたのでした。私
はアーケードのある商店街に入り、奥へ奥へと足を進めていったのです。
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