もう昔にこだわるんはやめる時期かもしれんなあ。
かつて、あんまり新しいことやりはじめたばっかりに(インターネットのこと)、ほ
ーけにせられて、はがいたらしい思いをしとうっちゅうことはこの場で言いました。ほ
んでも、あのころとは時代がちゃう。パソコン人口がねずみ算的に増えて、問い合わせ
をする人が日増しに増えてきよる。昔の経歴をぜーんぶ説明して、いがんだでしもた性
根を持っとう男であるってゆうんを告白しても・・・でよ。
大事なんは、自分の知識を人に教える技術。
自分だけが知っとったらええ時代ではなくなったんです。ほれは、幸ってゆうか不幸
ってゆうか、けど、選択肢はどれほどもあれへん。
ほのうちわいの力量を越えるもんが出てくるやろな。ほんで昔の出来事を回想するわ
いを見て、これ見よがしに嘲笑う人も出てくるだろ。
それはそれでよし。もしそうなったら、わいの役目は終わったんやと悟りも開ける。
人に知識を伝えるってゆうんはめちゃくちゃめんどいことです。
現在わいに求められとるだろっちゅうことはほのめんどいことなんよ。
ほりゃ、いるんは、単なるわいの経験則であって、わい自身ではないだけど。
けど、わいっちゅう人間をどれだけのもんが受け入れてくれるんやろか。疑問は当然
残りますわ。昔の思い出しとぉもない事があってから、心底他人を信用するんをやめた
わいを、いったいどんだけのもんが理解してくれるんか?
まだまだ時間がいるなあ。 まだ寛容にはなれんもう一人のわいがほない言よります。
ドッペルゲンガー
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