阿波弁が話されとる地域やけんど、まず徳島県全域と淡路島ががほれに当たります。
ほんで、ほの区域は大きぃに分けて5つに分けれます。
まず、北方 南方 山分に分けれて、ほのうち北方は、JR(旧国鉄)徳島本線川田トンネ
ル付近つまり、麻植郡山川町と、美馬郡穴吹町との町境付近(岩瀬橋)で、上郡(山分)、下
郡(里分)に分かれます。
ほんで、南方は、蒲生田岬の山脈(明神山)、星越峠で海部と阿南、那賀が二分します。
山分とは、祖谷、木屋平、那賀奥を指します。
ただな、山分については、他のそれぞれの地域、特に、上郡とその区域を重複する部分を持
っとります。
で、他の地方との交流があっただろう、三好郡曼陀峠、猪ノ鼻峠付近、阿波郡鵜ノ田尾峠を
境にして、ほんで、かつて陸の孤島といわれよった海部郡全域については、面白い現象がある
んでよ。まず、三好郡については、愛媛県東部、香川県西部の影響を受けて、鵜の田尾峠から
以南の阿波郡では、香川県東部の影響を受け、ほれから、海部郡については、地理的には非常
に遠い大阪の影響を受けています。そして、険しい四国山地に阻まれて、高知県との交流があ
んまりなかったけんか、海部、三好ともに、高知弁の特徴は見れません。
なお、平家の落武者伝説で有名な東祖谷地方には、平安時代から江戸時代頃の言葉が残っと
ります(先日{2001.2.11}NHKのふるさと日本の言葉っちゅう番組でやっとりました。)
例を挙げたら、
「ほなけん(だから)」 (里分)
「ほなきん」 (山分三好)
「せやから」 (大阪)
「ほうやろか(そうだろうか)」 (里分)
「ほうじゃろうか」 (阿波)
「せやろか」 (大阪)
「ほなけんど(そうなんだけれど)」 (里分)
「ほなきんど」 (三好)
「ほうやさかい」 (海部)
「せやさかいに」 (大阪)
「ほうえ(そうか)」 (里分)
「ほうけー」 (阿南以南)
「さよか」 (大阪)
「○○してよ(してください)」 (里分)
「○○してたもれ」 (東祖谷)
大阪弁(難波、河内)の流入については、わいとしては、海上交通がほの原因と思いよった
んやけど、なんでも明治維新以降に、海部郡から京阪神に出稼ぎに行った者が、現地で嫁をめ
とって、地元に連れ帰ったことから、その子、孫の代に、地元に定着したという説もあるんで
よ。
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